Twitterマンガで、描く楽しさを取り戻した。加藤マユミ先生に聞く、結婚・出産・育児とマンガ家のキャリア

加藤マユミ先生に聞く、結婚・出産・育児とマンガ家のキャリア

マンガノの新しいポートフォリオ作成機能「MangaFolio(マンガフォリオ)」のリリースを記念して、第一線で活躍するマンガ家の先生たちの「ポートフォリオ」について伺うインタビュー。第二弾では、『おじさんと女子高生』などのラブコメ作品で知られる加藤マユミ先生(@katomayumi)に、結婚・出産・育児を経て、キャリアやポートフォリオにどのような変化が生じたのかを聞きました。

特に女性の作家さんやこれからマンガ家を目指す人にとっては「出産・育児によってこれまでのように作品が描けなくなってしまうのでは」と不安に感じることがあるかもしれません。

加藤先生は、連載作家として実力も知名度も上がってきた30代前半で第一子を、30代後半で第二子を出産。育児中は得意としてきた恋愛ものが描けなくなってしまったものの、エッセイマンガに挑戦するなどさまざまな模索をする中で、近年は『やせっぽちとふとっちょ』をはじめ「家族愛」を軸にした作風を確立しました。

ライフステージが変化する中での加藤先生の試行錯誤は、さまざまな人生の局面に立つ作家さんたちに、何らかの気付きを与えてくれそうです。

マンガ家同士の結婚は、ライバル心よりも生活を維持することに必死だった

──現在小学生2児の母である加藤マユミ先生は、30代前半のときにマンガ家の横山了一先生と結婚され、第一子を出産されました。同業者との恋愛・結婚について、心配していたことと実際の違いは?

加藤マユミ(以下、加藤):出会った頃、夫の方は仕事がなかったりしたんですが、経済的なことは「二人いたらなんとかなるかな」と。それよりも同じマンガ家同士としてライバル心が生まれて、どっちかが売れたら悔しい思いをしないかな、という心配がありました。

でも実際に結婚したら、生活にお金が必要だという現実に直面して、張り合うどころではなく「協力して稼いでいくしかない」状況でしたね。特に二人目の子どもが生まれるくらいまでは予想外にお金がなく、その中でも明るく生きてはいたものの、振り込まれた原稿料がそのまま家賃の支払いに消えて何も残らない、みたいな感じでした。



夫・横山了一先生の育児マンガ


夫がTwitterの育児マンガでブレイクする直前までは、このまま東京で生活していくのは金銭的にしんどいから、私の地元の神戸に引っ越そうかと話していたくらいでした。

──お互いの仕事に対するスタンスや取り決めはありますか。口を出さないとか、必ず読むとか。

加藤:お互い、相手の制作途中の作品はあまり見ないし、意見も言わないです。相手から「ここってこうかな?」とか「この言葉の言い回しってどう?」とか聞かれたら答えるくらいで。それも、ストーリーの内容についてというよりは、一般的な常識についての質問がほとんどですね。

まあそもそも、お互いの作品に対してそこまで興味がないと思うんですよ(笑)。私はラブコメで夫はギャグマンガを描いていて、ジャンルが被っていないせいもあるかもしれないです。完成したものを読みはしますけど、良くも悪くも干渉はしません。

出産後しばらく、恋愛もののストーリーが浮かばなくなった

──妊娠が分かってからは、仕事をどうコントロールしましたか。

加藤:妊娠前後は、私はちょうど連載が終わった谷間の時期で、単発仕事が入っていたくらいだったので「出産の期間休みます」と相談するような状況ではなかったですね。

──出産、育児に伴って、仕事がほぼ完全にできない期間はどれくらいでしたか。

加藤:出産してから最初の1年くらいは本当に育児で精一杯でした。特に子どもを産んですぐの頃は頭が「お母さん」モードになってしまって、それまでは頭の中に恋愛もののストーリーが自然と浮かんできたのに、浮かばなくなった。「あ、もうマンガ家続けられない。私、終わった」という恐怖がありました。

結局、息子が2歳半くらいまでは、ほぼ仕事にならなかったですね。焦りもあったしお金の不安もあったので、息子がまだ1歳前くらいのときには出版社に萌え系4コマを持ち込んだこともありました。でも反応は全然ダメで。他にも出産前に担当してもらっていた編集者にネームを出したりもしましたが、気が焦っているから商業のレベルに達していなくて「これじゃあ連載会議に回せないです」と言われました。

当時はTwitterもやっていなくて、何も発表できない状態が長く続きました。2012年に夫が原作で私が作画の『飯田橋のふたばちゃん』を始めるまでは、いろいろやってみてもうまくいかなかったですね。

飯田橋のふたばちゃん
『飯田橋のふたばちゃん』横山了一(原作) 加藤マユミ(画) 双葉社

──当時、非常に苦労されていた中で、二人目を産むことに不安はありませんでしたか?

加藤:もともと、子どもは二人欲しかったんです。一人目が男の子だったので、女の子も欲しいと。一人目を産んだ時点で30代だったので、出産のリスクや今後育てていく体力を考えると、できるだけ早く産んだ方がいいだろうと思いました。

上の子が3歳のときに下の子を出産しましたが、お金も仕事もないことは、当時はあまり考えなかったですね。幸い両家の親のサポートがあって、何かと心配して援助してくれたので、なんとかやっていけた感じです。

小さい子どもを見ながらのアナログ画材での作業は、思わぬ苦労も

──マンガ家として、子育てに関して認識しておいた方がいいことはありますか。

加藤:在宅だからといって、子どもを見ながらマンガは描けないです。私は下の子が赤ちゃんのときに久々に連載をいただきましたが、上の子を幼稚園に、下の子を一時保育に預けることで、なんとかなりました。ただ、家に夫がいても「お母さんがいい」と泣いちゃう子だったので、小さい頃は私の負担が大きかったですね。

それに子どもが小さいときは、ストーリーを考えたりするのと子育てとの頭の切り替えが本当に難しかった。ほんの少しスマホを見ている間に何か危ないことをしたりするので、全力で子どもに集中する必要があるんです。だから子どもがいないときか、寝ているときでないと、仕事をするための頭に切り替えができない。あとは当然、育児に追われて物理的に時間がないというのもありました。

──自治体によっては、夫婦ともに在宅勤務だと(入園希望者を選考する際の)点数が低くなることも多く、保育園に入るのが大変ですよね。

加藤:うちは保育料を払う余裕がなさそうだったので、最初から保育園は諦めていました。幼稚園の場合は所得に応じて補助金が出たので、子どもたちがそれぞれ3歳になったときに、幼稚園に入れました。

──感覚的には子どもが何歳くらいからラクになりましたか。

加藤:下の子が幼稚園に入った瞬間ですね。なので結局、マンガ家としてちゃんと復帰できるまでに、一人目の出産から数えて6年かかりました。

その間は夫に上の子を外に連れ出してもらってその間に描いたり、下の子が寝ている隙に描いたりといった具合に『ふたばちゃん』の作画をしていましたが、結局、子どもが同じ空間にいると仕事にならないんです。

加藤マユミ先生
加藤マユミ先生

──子どもがいない時期と比べて気軽に出かけるのも難しくなりますが、打ち合わせなどはどうやっていたのでしょうか?

加藤:『ふたばちゃん』の当時はZoomなどがなかったので、子どもが家にいない午前中に編集さんに最寄り駅まで来てもらったりして、打ち合わせしていました。あとは電話、メールでなんとかしていましたね。

──子育て期間はフリーランスの人間でも暦や世の中の時間のサイクルに合わせることが求められますよね。そこは大変ではなかったですか?

加藤:私は子どもを産む前から朝起きて夜寝るサイクルで仕事をしていたので特に苦労はなかったんですが、夫は付き合い始めた当初からしばらくは完全に昼夜逆転の生活でした。でも結婚してからは少しずつ変化して、特に子どもができて上の子が幼稚園に入ると「朝8時半に子どもをバスに乗せる」というサイクルができ、社会とのつながりができていきましたね(笑)。

──子どもが小さいと、仕事道具を触ってくることもあると思います。作業環境で気にかけていたことはありますか?

加藤:今はフルデジタルになったんですけど、『ふたばちゃん』の頃まではアナログ作業だったんです。当時はカッターやペンが仕事場に置いてあったので、子どもが触ってケガしないか気を配る必要がありました。

そういえば一度、私が原稿用紙にペン入れしている最中に、イヤイヤ期真っ只中の息子が水差しの水をブチまけて原稿を水浸しにしたことがあって、私がキレて娘を抱いたまま家出するという事件がありました。幸いにして大惨事はその一回だけだったんですが、息子もそれ以降は反省していたずらしなくなり、私も子どもがいるときには道具を出して作業しない方がいいなと学びました。

フルデジタルになると、ちょっかいを出されると大変な原稿の現物とか、触ってケガをする可能性のある画材もないので、不安は減りましたね。今は邪魔されるといっても、突然バーっとやってきて話しかけられたりするくらいですね。

──現在、お子さんたちはいずれも小学生ですが、1日のうちいつ作業をしていますか?

加藤:朝、子どもたちを小学校に送り出したあとですね。子どもたちが帰ってくる午後2時半~3時半までが勝負です。帰ってくるとあまり仕事にならないので。午前中が一番調子がいいですね。子どもたちが帰ってきたらごはんの準備など家事をして、夜は10時くらいに寝ています。朝は6時起きです。

出産・育児の影響はあって当たり前と思って、気持ちをラクに

──作品についても伺いたいと思います。加藤先生がSNSにマンガをアップするようになったのは、出産・育児がきっかけですか?

加藤:先ほど少し話しましたが、お金に困って「神戸の実家に帰ろうか」と話していたころ、私より先に夫がTwitterに育児マンガを載せ始めました。息子が日頃から面白いことをいっぱいしていたので、それをマンガにして載せてみたらバズって。フォロワーさんが増え、夫は育児エッセイマンガをどんどん描くようになりました。

私は「ネットにマンガに載せるなんて反応がこわい」と思っていたんですけど「『パパ目線ではこうだけど、ママ目線だとこうなんだよ』というのが描けたら面白いかな?」と思って、自分でもエッセイマンガを載せてみたんです。


「息子が成長した瞬間」をそれぞれの視点で描いたマンガ


子どもが小さかった頃は自分のマンガをうまく描けなくなっていたのですが、「子どものことや日々のことなら描けるかな」と思ったんです。それを描いているうちにだんだんと「また自分のマンガが描けるかも」と思うようになりました。

──エッセイマンガに挑戦してみて、創作マンガと勝手が違うと感じたのはどんなところですか。

加藤:創作マンガは話もキャラクターも一から作るので、ネタが出てこなくて悩むことが多い一方、エッセイマンガは起きた出来事をまとめていく作業だから、ネタがないことはないんですね。

ただエッセイでは、起きたことを全部そのまま描いてもつまらないので、面白くなるように省略したり、大げさに描いたりする技術が必要になる。とはいえ構成するだけなのでエッセイの方が作りやすいと感じます。でも、私の場合はたとえ作るのが大変でも、大きなやりがいを感じるのは創作の方ですね。

──エッセイマンガで自分の家族を題材するにあたって、気を付けたところはありますか。

加藤:自分自身はダメなやつに見えてもいいかなと思うんですが、子どもや夫はあまりおとしめないようにしたいな、と。家族が悪く見えるようには描きたくないですね。

──その後、創作のラブコメを描かれるようになりますが、きっかけは二次創作だったそうですね。

加藤:子どもが赤ちゃんの頃は物理的に時間もなくて、以前は好きだった映画やアニメ鑑賞もできなくなっていたんです。それが、下の子が幼稚園に上がると、子どもが家にいない時間に映画館に行けるようになりました。精神的にも余裕が出てきたこともあって、久々に好きな作品に夢中になり、二次創作に見事にハマってしまって(笑)。



それで描いたものをTwitterに載せたら、むちゃくちゃ楽しかったんですよ。エッセイマンガを載せてもあまり反応がなかったんですけど、二次創作は反応もよくて、忘れていた何かを取り戻すことができた。1年くらい二次創作を描いていましたね。二次創作なら恋愛も妄想で好きに描けるし、フォロワーさんも増えたし、今振り返るとマンガを描くことのリハビリになったのかな、と。



そこからまた、オリジナルのキャラとストーリーで描くようになりました。

──出産を機にマンガを描かなくなる、描けなくなる作家さんもいますよね。

加藤:私と同時期に出産した方で何人か、出産後にマンガ家として復帰されていない方もいます。

一方で、出産後も一見変わらないペースで描いている方もいるのですごいなと思います。ただ「変わらず描き続けている」ように外から見えていても、話を聞くと「産む前みたいに時間が取れないし、思うようにマンガが描けなくて焦る」と悩んでいる方もいらっしゃいます。

度合いや期間は人によって違うと思いますが、大なり小なり女性にとって、出産・育児の影響はおそらく避けられない。その間はどうしても焦ります。でも「そういうものなんだ。みんなそうなんだ」と最初から思っておけば、焦りも少なくなるんじゃないかと思います。

ライフステージの変化を受け入れながら、今後も描き続ける

──一時期恋愛ものが描けなくなったと伺いましたが、他にも出産・育児の前と後で、作風への影響はありましたか。

加藤:私はデビューから数年間、男性向けの青年誌で描いていたので、編集さんからは「もうちょっと女の子のセクシーなシーンを入れてほしい」とオーダーされて、「男性目線で喜んでもらえるものとは?」を叩き込まれてきました。だけど妊娠・出産を経ると、セクシーな女の人を描こうという気持ちにならなくなりました。そこは変わりましたね。

あと、出産前までは恋愛マンガといったら「男女の恋愛」しか描いていなかったんですけど、今はどちらかというと「家族の愛情」というか、主人公やヒロインにはお父さんお母さんはじめ家族がいて、その中で二人が出会って恋愛する姿を描くように自然に変わりました。

人間は一人で生きているわけじゃなくて、親がいてくれるからこその自分なんだな、と。だから最近は家族が出てくる作品が多いんです。

マンガにはどうしてもそのとき感じている自分の思いや悩みが出るので、今後も自分が年を取ったり子どもが成長して大人になったりしたら、また変わるんだと思います。でもきっとその変化も、自分自身は自然に受け入れていくんじゃないかと思っています。

──加藤先生は以前Twitterで「最近はマンガ家の活躍する年齢が幅広くなっている」とおっしゃっていましたよね。



加藤:私の若い頃は「マンガは若者のもの」と言われていたんです。編集さんからも「若い感性のうちに描かないと、読者が共感してくれない」と言われていました。でも今周りを見たら、みんなマンガを読みながら、ゲームをやりながら年を取っています。だからきっと60歳、70歳になっても読む人は読むと思います。

実際、私が若い頃に描いていたマンガは若い読者が読んでくれていたと思うんですが、今は同年代のファンの方が多いような印象があります。だからこのまま読者と一緒に年を取っていくのかな、と。私はおばあちゃんになってもマンガを描いていたいし、描いたら読んでもらえるという希望が、最近見えてきた気がします。

──今後の活動について教えてください。

加藤:私、先のことは全然考えていないんですよ(笑)。今自分に描けるものを出してみるだけです。

私が投稿したTwitterの4ページマンガの中で一番反響があった『やせっぽちとふとっちょ』の1話目なんて、それまでは日本人同士のラブコメしか描いてこなかったのに、突然イタリア人の孤児が出てきます。大丈夫かなと思っていたけど、逆に受けた。何が受けるかなんて本当に分からないんです。だったらいろいろやってみて、反応が良かったものの続きを描きたいです。



『やせっぽちとふとっちょ』第1巻
『やせっぽちとふとっちょ』第1巻 (C)加藤マユミ/KADOKAWA

私がデビューした頃はマンガ雑誌に連載するしかマンガを描く方法がなかったんですけど、雑誌連載を決めるための連載会議に通るのがまず難関でした。でも今はTwitterがあるので、描けばすぐに載せられて、反応がダイレクトにある。

──Twitterによって、マンガ家の活動の場やチャンスが広がっていますね。

加藤:そうですね。そしてそのあと描き続けるのも止めるのも、作家の自由。商業誌で描くことももちろんやりがいがありますが、Twitterマンガにはそれとは違う自由さがある。私の場合はそうやって自由に描く方が合っている気がします。

それに、現在は収入源が複数ある状態を作れたので、安心して描ける環境になりました。Twitterマンガを入口にして、pixivFANBOXに来てもらったファンの方には最新話がいち早く読める「先読み」を用意して課金してもらったり、流通・販売管理を任せられる電子書籍配信サービスを利用したり。

だから今後も行き当たりばったりな感じで(笑)、心のままにやっていくんだろうなと。ただ、その時々に力を入れている作品は一つだけなので、今はまだまだ先が長い『神童と猛獣』のことを考えています。


twitter.com

これが終わったら、またそのときにやりたいことをやるのかなと。そうやって、ずっと描き続けていきたいと思っています。

【マンガノ運営チームより】

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加藤マユミ

2005年刊の『女子恋愛百科』(集英社)で単行本デビュー以後、青年誌で恋愛ものを中心に執筆。同業者の横山了一との結婚、出産を経て2012年に4コマギャグマンガ『飯田橋のふたばちゃん』(原作:横山了一)で商業作品に復帰。2017年刊のエッセイマンガ『発酵かあさん』を経て、Twitterで発表した作品を元にした『おじさんと女子高生』『やせっぽちとふとっちょ』『ある幼なじみが結婚するまでの話』などのラブコメを手がける。現在『神童と猛獣』をTwitterおよびpixivFANBOX上で連載中。

Twitter:@katomayumi

(取材・文:飯田一史)